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カテゴリ: ブリテンリサーチ

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イングランドにおけるキリスト教カルチャーを探求する    東 義真
 私は、イングランドを七度訪問している。いつも、よい空気が流れていると感じている。イングラン
ドは言わずと知れたUK(連合王国)の中の1つの国(地域)である。日本では『イギリス』や『英国』
という呼び名が一般化しているが、それが示している地域には、ずれが生じている。(このことは、
ここでは言及しない)
 *例をあげるなら、『イギリス』というポルトガル語から来る日本語の単語は、北部スコットランド側
をも含んでいて、『イングランド』=『イギリス』ではない。
 わたしが旅したのは、つまり正確に言えば、イングランドのみ7回である。その殆どは、ロンドンの
みに集中している。だが、しかしロンドンという街は、現在ほぼ全てクリスチャニティのレガシーの土
台のうえに出来上がっている都市である。
 ほかは、グラストンベリーとレイクディストリクト、そしてルートンを訪れた。これらの町もクリスチャニ
ティのレガシーを持つ。ロンドンをはじめ、これらの町でキリスト教会も訪れた。(日曜礼拝も含む)
(上の写真: イングランドに在るスコットランド系の教会。高齢になられた信者が自宅を提供した)
 複数の教派の教会に行ったが、どこもあたたかい。
(右写真:上記スコットランド系教会の中にて交流を楽しむ。)
 雰囲気がよかった。楽しく迎え入れてくれる。これはキリス
ト教国として霊的な被いがイングランドをつつんでいるから
だと感じた。その霊性は日本ではあまり感じられないものだ。
(この、私が感じる感覚をみなが感じるのかどうかは分からな
いが) ふと、感じる、・・・私たちは、心の中の何かの部分が、
曲っているのかもしれない。人間は、本来性に対して、強固
に自我を推し進めるという性質で、罪を犯している。
 日本の禁教の悲しい歴史が、自然な形で日本にキリスト教が浸
透することを長い間妨げた。クリスマスシーズンのイングランドは、
ほんとうの意味で自然なかたちで街と人がすべてにおいて主の降
誕をセレブレーションしている時、と感じることができる。霊的に包
み込まれる。日本ももっともっと、そうなって欲しい。
 本来性を保つ道として、神(創造主)が与えた10の教えがある。
そこを中心に据えないと、そこを求心力にしないと、人間社会は、
「自分だけならいい」と勘違いして崩れてしまうというのは、おそらく
聖書が伝え続けられる意味であり、警告だろう。たぶん、そこに人
間の危うさがある。(箴言はまず、主なる神を畏れることを言ってい
る) でなければ罪や、壊れている心が明確にならない。
 イギリスのキリスト教、といえば、日本国内でもメジャーな教派としては、イングランドの英国国教
会がある。(英語では、アングリカン・チャーチ、又はアングリカン・コミュニオン、日本では聖公会と
一般的に呼ばれている。これは、イングランド系であり、スコットランド系ではない。英国国教会は、
聖職者の結婚が禁じられていない事以外は、非常にカトリックに近い。ゆえに、聖体拝領にも相互
関係があるらしい。カトリックの人も英国国教会での聖体拝領が出来る。)
 現在のイギリス(UK-United Kingdom、グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国)は、移民
国家・多民族国家であるので、宗教的には多岐に分布する。キリスト教(英国国教会・カトリック・プ
ロテスタント諸派)、イスラム教、ヒンズー教、仏教、イラン系バハイ教、ジャマイカバプティスト系ラス
タファリアン、ユダヤ教・・・といった分布だ。
 とはいえ、国民の、ほぼ6割がキリスト教系であり、間違いなくキリスト教国と言える。
(上写真:クリスマスシーズンの、ロンドン・パディントン駅。ほんもののクリスマスにつつまれる。)
 イギリスには何度も旅し、数ヶ月滞在もしているが、キリスト教国には、なにか、霊的な『ゆるし』の
ようなもの、・・・そういう感覚をわたしは感じる。(不思議とわたしは、落ち着く。)
 罪や壊れているものが明確になり、人間ではどうすることもできず、神の『ゆるし』を受ける、という
霊的な何かが、キリスト教国をおおうのだと、芸術家である私はもしかしたら、かってに感じている。
 グレートブリテン島(現・イングランド+スコットランド)におけるキリスト教史は、歴史を紐解くと、イ
エスの復活後すぐにスタートしている。
 新約聖書に登場するユダヤ系議員であった、アリマタヤ・ヨセフは(もともとイエス・キリストの信者
だったが、サンヘドリン勢力の前では声を大きくすることが出来ず、)磔刑後のイエスを引き取り布
(のちの聖骸布)に包み、もともと自分用の墓として作っていた墓所に主イエスの身体を葬った。
 そのアリマタヤのヨセフは、イエスの復活後、ブリテン島へ渡った、とされている。紀元1世紀の
出来事だ。そのときに、イエスの血を受けた聖杯(英語ではチャリス)をブリテン島に持ち込んだと
云われている。
 イギリスでは、この物語を受けて、おおくの文芸、芸術作品、映画、詩などがのちに、現在に至る
まで生まれ続けている。芸術の源泉の1つである。(メジャー系エンターテインメント映画の世界で
も、英国系アメリカ人映画プロデューサーである、ジョージ・ルーカス氏が『インディ・ジョーンズ最
後の聖戦』でアリマタヤ・ヨセフのチャリスをテーマに創作していることはよく知られる。)
 アリマタヤのヨセフは、ブリテン島・アヴァロン(現在のグラストンベリー)にヨーロッパ、そしてブリ
テン島・英国最初のキリスト教会を建てたとされる。2000年前である。英国キリスト教の歴史は
2000年の歴史を持つ、という言い方も出来る。
 ここまで時代が古くなると、事実と伝説が入り混じったり、複数の伝説に矛盾も生じているが、基
本的には、アリマタヤのヨセフは、チャリスと呼ばれる、キリストの聖杯をアヴァロン(英国)に持って
きたことは、ヨーロッパ世界およびアメリカでは常識である。
 そしてチャリスはアヴァロンの水源に沈められた。私は、そこを旅した。ある種の巡礼である。
 (下写真:チャリスの水源から湧き出る池にて。)
 グラストンベリー(古代地名:アヴァロン)には、現在
もチャリス・ウェル(聖杯井戸)があり、そこは、鉄分の
多い水が2000年も流れ出ているイギリスの聖地と
なっている。 ・・・鉄分の多さと、イエスの血を受け
た聖杯とが、つながりを示しているという話がある。
 チャリスは、ロンギヌスの槍で突かれたイエスの血
をうけた杯と同一である、という説と、別のものである、
という説があるが、それはイエスがゆるされた(われ
われをゆるされた)シンボルである。イエスがゆるし
たから、われわれも、他をゆるせるようになる。
 イギリスが『ゆるし』がある国、と感じるのは、こうした伝統に由来していると私は感覚的に受け
取っている。
 こうした伝承により、英国が大きく神の祝福を受けている国であると、自称した時代がある。
 Colin Joyceは、『驚きの英国史』(NHK出版2012年pp.86-88)で、少年時代のイエス・キリストが
アリマタヤ・ヨセフとブリテン島を訪れ、それによってブリテン島(英国)は神に特別な祝福を受けた
ため、特別な国になった、と語られた時代があった、と言う。
(少年時代にイエスが英国をアリマタヤ・ヨセフと訪れたという記述は聖書そのものには全くないが、
ヨーロッパ・キリスト教史では伝承としてあるようだ。英国はもはや2000年間にわたり主イエス・キリ
ストと歩みを共にしていることになる。)
 英国の国民的芸術家・詩人William Blake(ウィリアム・ブレーク)は、詩『JERUSALEM』 (「エル
サレム」)に、これを描く。イギリス国民的詩となる。(以下)
And did those feet in ancient time     古代の足あとか。
Walk upon England's mountains green?  英国の山々、その緑の上を歩いたのだろうか?
And was the holy Lamb of God      そして、その、神の聖なる小羊は、
On England's pleasant pastures seen?    英国のすばらしい牧場におられたのだろうか?
And did the Countenance Divine     神の子は光り輝き、厚い雲に覆われた牧場の
Shine forth upon our clouded hills?    丘を照らしたのだろうか?
And was Jerusalem builded here      暗い悪魔的製粉所群の只中に、
Among these dark Satanic mills?       エルサレムは建てられたというのか?
Bring me my bow of burning gold:      燃える金の弓を持ってきてくれ。
Bring me my arrows of desire:        欲望の矢を持ってきてくれ。
Bring me my spear: O clouds unfold!     槍を持ってきてくれ。 雲が開く!
Bring me my chariot of fire.           火の戦車を持ってきてくれ。
I will not cease from mental fight,        心の中の戦いは続く。
Nor shall my sword sleep in my hand       私の剣は眠らない、
Till we have built Jerusalem            エルサレムを建てるまでは。
In England's green and pleasant land.        この英国の緑豊かな土地の中に。
以上
(アリマタヤのヨセフの後日譚は聖書そのものにはないとしても、ヨーロッパでは一般化している)
・・・少年の日イエスとアリマタヤ・ヨセフがブリテン(英国)を旅していたとすれば、イエスの復活の
後、アリマタヤ・ヨセフがブリテンへと渡った出来事がよりうなづける。
 また、国民的ポエムである、この上記の詩をみるとあきらかなのは、イギリスという国が、イエス・キ
リストの恵みによってたてられる国である、ということが、その国民意識としても明白な願いであると
いう、・・・その事実がイギリスを確固たるものに建てあげていることが私には感じられる。
(聖書によれば、)
神の国を待望していたアリマタヤ・ヨセフは、サンヘドリンのイエス非難決議に同意しなかった。
(ルカによる福音書 23:50-51)
 福音書のあとのヨセフの行動を記した書は、4世紀記述、そしてしばらく時を経た11世紀ごろに
成立している。
これらは、聖書本文でないとしても、イギリスにおけるキリスト教の歴史のレガシーである。日本にこ
うしたレガシーがあまり無いのは私は寂しいと思う。
レガシー、伝承の中では、アリマタヤ出身のヨセフは、イエス復活後、イエスの血を受けた聖杯を
持ち、ブリテン島へ移住した、とされる。
ブリテン島は、AVALON(現在のグラストンベリー)へと移住。
そこで英国最初のキリスト教会を建てた、とされる。この英国最初のキリスト教会遺跡は現存する。
(これはイギリスのローマに対するライバル意識から出来た伝説、という人もいるようだ)
 聖杯はどうなったのか。これは、今もヨーロッパのミステリーだが、英国キリスト教の伝承によれば、
アリマタヤ・ヨセフ(Joseph of Arimathea)は、磔刑のときに、イエス・キリストの血を受けた聖杯をブリ
テンにもたらし、現在、CHALICE WELL(聖杯井戸)と呼ばれる場所(英国グラストンベリー)に、
沈めた、とされている。この出来事をテーマにした様々な文化、創作、芸術作品がイギリス、ヨー
ロッパ、果ては米国まで存在する。また、現代でも創られ続けて居る。こうしたカルチャーの存在は
私個人的には羨ましい。英国におけるキリスト教は、つまり2000年の歴史を持つことになる。
 アヴァロンはゆえに1つの聖地として語り継がれることになる。
 アヴァロン(現・グラストンベリー)は二千年前にキリストの復活と密接な、伝説の土地となった。
 そして、500年後、ウーサー・ペンドラゴンの子、アーサーが英国最初のキリスト教王となる。
 英国のアーサー王の物語は、いくつかのバージョンがあるのだが、国の成り立ちと結びつく伝説
とまで成っている。
 アーサー王
 5世紀~6世紀の、ブリテンのモナークである。その墓所は、Glastonbury、当時はアヴァロン
と呼ばれる土地だった。アーサーが眠るとされているのは、Glastonbury Abbey(グラストンベ
リー修道院)だという。伝承『THE KNIGHT STORIES』によれば、アーサー王は500AD頃に
ケルト系ブリテン人を率いてサクソンの侵攻を撃退した。アーサー王は、超自然的エネミーや侵
略者から、ブリタニアを守る戦士の長として捉えられた。
 彼はアヴァロンにて地上生涯の最後を迎えた。そこは戦で致命傷を負ったアーサーが癒しを求
めて渡り最期を迎えた場所だ。<AVALON>アヴァロン・グラストンベリーは、ブリテンにある。
そしてイエス・キリストがアリマタヤ・ヨセフと共にブリテン島を訪れた際の訪問地。(伝承)
そこがイギリス最初のキリスト教会となったと語られる。アヴァロンの場所は、実は正確に分か
らないが、今日、ほぼグラストンベリーではないかと特定されて考えられる。伝説的アヴァロン
は林檎で名高い楽園。ケルトランゲージで林檎を意味する、ABAL(英語のAPPLE)に由来。キン
グ・アーサーの墓所。
 アーサーはサクソンを撃退し、ブリテン~フランスにまたがる王国を建設した、とされる。
 アーサーの父ペンドラゴン、従者マーリン・ザ・ソーサラー、グィネビア妃といった、キン
グ・アーサーに関係する人物も有名。また、エクスカリバー(Excalibur)はアーサーが持ってい
たとされる剣。魔法の力があるという。ブリテンの正当な王が持つとされた。アーサーは石に刺
さったエクスカリバーを引きぬいて王になる。石に刺さった剣を引きぬくことは「本当の王」の
証、・・・すなわち神により王に任命された者にしか出来ない行為とした。
 アーサーの出生
 ユーサー・ペンドラゴン(アーサーの父)は、敵対国コーンウォール王ゴルロイスの妃イグ
レーヌに恋をし、イグレーヌを奪うためコーンウォールに攻め入った。魔法使いであり、従者・
マーリン・ザ・ソーサラーの力を借りてゴルロイスに変化(へんげ)、・・・ゴルロイスに姿を
変えたペンドラゴンとイグレーヌは肉体関係を持つ。彼らは結婚。子が出来る。が、その子は魔
法使いマーリンに預けられた。この子がアーサー。アーサーの生誕の地はTINTAGEL CASTLE.
 キャメロット(Camelot)とは、キングアーサーの建設した王国の首都。幻の都。キャメロッ
ト城があった。そこから多くの戦いに出陣したという。正確な位置は失われ分かっていない。
 モードレッド(Mordred)はアーサーの甥または息子と言われる。アーサー王に対して謀反を
起こし、アーサー王に致命傷を負わせるが戦死。アーサー王は槍でモードレッドを討つが、自身
も深手を負う。死を悟ったアーサー王は部下の騎士に、エクスカリバーを湖に投げ捨てるよう命
じた。王は傷を癒すためにキリストの聖杯井戸があるAVALONに向かったという。アーサーは今
も生きているという説もある。
*アリマタヤ・ヨセフが、キリストの磔刑のさいのイエスの血を聖杯で受けたとという伝承もある。
アリマタヤ・ヨセフは、その聖杯とともにブリテンAVALON島(当時は海抜が低く、島だったという説
もある)に渡ったという伝説もある。
墓所は、現在のグラストンベリー修道院とされているが、グラストンベリーTOR(塔)が墓所とする説
もある。
 実際グラストンベリーへ、いきました。グラストンベリーは、ロンドンのパディントン駅から、ブリスト
ル・テンプル・ミードへ向かい、そこから、バスでいく。(ロンドンからは4時間程かかる) 初代キリス
ト教王・アーサー王の、地上での、さいごの地。マストゴーと言ってもよい。
英国キリスト教の始まり アーサー王 そのTOR建造物(墓地とされる)訪問時のVR
(以下LINK)
https://www.youtube.com/watch?v=APmw978e0V4
アーサーに連れ立つ相談役は魔法使いマーリン。マーリンの存在など、英国神話と英国キリスト教
の合体がある。英国の歴史とキリスト教は、がっちりと結びついている。アーサーは、すでに英国聖
地として名高かったアヴァロンにて死去。
アーサーとマーリンの物語は、聖書におけるダビデとナタンの関係に呼応するだろう。アーサー王
の物語はいくつかのバージョンがある。
 17世紀、英国ジェームズ王は、命を出し、聖書英語版キング・ジェームズ・バージョンを刊行。英
国・ヨーロッパにおけるキリスト教の、全ての人々は神の子であるとする、魂の分け隔てのない信仰
が育つ起源ともなる。英国は、第二次大戦における民主主義の要となったが、それには、英国の
在り方とも関係しているといえるだろう。
 英国において、様々なキリスト教があるが、最大としては英国国教会アングリカン・コミュニオンで
ある。宗教的な指針はウエストミンスター司教にある。王は、アングリカン・コミュニオンの重要人物
であるが、王権神授説、王の権威は聖書が教える神によって与えられたものである、とされ、王は
けっして神ではない。王はあくまでも神の下にいる人間、それも、聖書の神、イエス・キリストのもと
に、である。これは王を立てるうえで、また民主主義で重要なことである。アドルフ・ヒトラーは自らを
イエス・キリストの上の存在とした。ヒトラーは(いつわりの)神となった。 英国の王は、あくまでも、
神の下の人間である。そして、それは、イエスの教えに準拠することをスタンダードとしているという
国民との契約がある。
 大学院のころ、メルビルの小説、大長編『白鯨』について研究していたことがあった。主人公の名
は、イシュマエル。旧約聖書に登場する、世界すべての国民の父、アブラハムの第一子だが、妻
の召使の子であるイシュマエルの名と同じで、この名がつけられたのは、意図的であることは明白
だ。白鯨では、イシュマエルも、聖書のイシュマエルとおなじく、帰る先のない若者だ。しかし、か
れは、その冒険をのりこえて、創造主、天使の祝福がつねに伴って、生き残る。彼の冒険を示唆す
るように、この名がつけられている。メルビルが聖書のイシュマエルの事柄にかんして、おおきな興
味をもっていたことと、神への信仰の、メルビル自身のおもいが入ったネーミングといえるだろう。
同時に、ピークオッド號というクジラ捕獲船舶のキャプテンが、アハブ、(エイハブ)であることも、興
味ぶかい。これも、キャプテンの何か心にある思いと、どこか歪んだ自我を名があらわすというよう
に見える。つまりのこの2者のネーミングから、ストーリーを予測することも、密かに可能なように
なっているのかもしれない。聖書のキャラクターの在り方と、その名の登場人物の性質や出自が呼
応した、・・・その意味でクラシック英米文学、と言える。
 英国を始まりとする英米のキリスト教カルチャーにおける創造を深く見ると非常に面白い。
参考:
『キリスト教の誕生』(ピエール・マリー・ポート/創元社1997年)
『アーサー王物語』(フラテリ・ファブリ/小学館1978年)
『イエスの生涯』(ジェラール・ベシエール/創元社1995年)
『賀川豊彦の生涯と思想』(河島幸夫/中川書店1988年)
『驚きの英国史』(コリン・ジョイス/NHK出版2012年)
『エクスカリバー聖剣伝説』 (Merlin / サムニール主演2000年)
『インディジョーンズ最後の聖戦』(Indiana Jones and the Last Crusade / Gルーカス製作1989年)

大乗仏教に見られる キリスト教の影響 仏教は、インドに伝わった東方キリスト教から大きな影響を受けた インド、チェンナイ(旧マドラス)にある使徒トマスの墓。 トマスはインドで伝道をし、キリスト教はインドに広まった  仏教に対するキリスト教の影響について、もう少しくわしく見ておきましょう。  仏教と言えば、よく知られているように「小乗仏教」と「大乗仏教」があります。 「小乗仏教」(上座部仏教)とは、大乗仏教成立以前の仏教諸派の総称で、現在もセイロン、タイ、ミャンマー(旧ビルマ)、インドシナなどに見られる仏教です。  一方、「大乗仏教」は、旧来の小乗仏教が個人的解脱の教えであるのに対し、広く人間の全般的救済と成仏の教義を説き、一~二世紀頃に成立しました。中国、日本などに伝わった仏教は、大乗仏教です。 大乗非仏論  さて、この大乗仏教について、 「大乗仏教はシャカ自身の教えではない」  と言う「大乗非仏(だいじょうひぶつ)論」が、広く学者の間で論議されています。実際、大乗仏教の教えを検討してみるならば、シャカの直説とは言えない教えが数々混入していることは明らかです。  シャカは、長い苦行の末に「悟り」を開き、一切のものは空(無我)であると説いた人でした。彼は、この世界も、苦も、生も、死も、すべては空であり、実体のないものであると説いたのです。彼の思想は、もともと無神論で、神、あるいは神的存在者に関する思想は持っていませんでした。  ところが大乗仏教になると、「大日如来」(大ビルシャナ仏)とか「阿弥陀仏」とかいうような"神的存在者"が出てきます。 「大日如来」とは、「光明があまねく一切を照らす」という意味で、宇宙の実相を霊化した存在者です。また「阿弥陀仏」とは、極楽浄土に住むとされる神的存在者で、この仏を信じ「南無阿弥陀仏」と唱えれば、どんな人でも極楽に往生できる、と説かれたのです。  また大乗仏教には、「浄土」とか「仏国土」という思想があります。「浄土」(仏国土)は、キリスト教で言えば「天国」です。「浄土」の思想は、もともとシャカの教え、すなわち原始仏教にはなかったものです。  また、小乗仏教においては、この世界の事物は「空」(無我)であり「無常」であるという世界観にほとんど終始していたのに対し、大乗仏教になると、変化きわまりない「無常」の世界の奥に、さらに「常住なるもの」(変わりなく存在するもの)を捉えようとします。すなわち大乗仏教になると、移り変わる物事の奥に、"永遠的なもの"を探ろうとするのです。  また、大乗仏教の一派である浄土宗などになると、もともと原始仏教にはなかった「罪」の概念が、盛んに言われるようになります。例えば、親鸞は人間の持つ「罪」というものを強く意識した人ですし、寺の中にも「懺悔滅罪(ざんげめつざい)寺」と呼ばれるものが現われました。 「法華滅罪寺」(奈良市)  さらに大乗仏教には、末法思想と呼ばれる歴史観、および「弥勒」と呼ばれる未来の救い主に対する信仰があります。この思想によると、シャカの死後長くたった現代は"末法の世"で、シャカの教えが実行されず、世も乱れる時代であるとされています。けれども将来、「弥勒」と呼ばれる仏がこの世に現れて、シャカの教えに漏れた人々を救う、という信仰があるのです。  これは言わば、"救い主が将来この世に現れて、人々を救う"という信仰です。このような思想は、もともと原始仏教にはなかったものなのに、いったいどこからきたのでしょうか。 そこにはキリスト教等の影響が……  このように大乗仏教には、「大日如来」や「阿弥陀仏」というような神的存在者の思想、「浄土」の思想、「常住なるもの」の思想、、「罪」の思想、「弥勒菩薩」の思想など、もともと原始仏教にはなかった思想が、数々混入しています。  これらの思想は、キリスト教の知識を持っている人ならだれでもすぐわかるように、キリスト教の思想に、あまりによく似ています。実際、仏教史学の権威エリザベス・ゴードン女史は、例えば弥勒菩薩について、その語源を調べた結果、 「(弥勒の原語である)インドのマイトレィアは、中国ではミレフ、日本ではミロクで、これはヘブル語のメシア、ギリシャ語のキリストである」  と結論しています。ヘブル語の「メシア」が、インドでは「マイトレィア」、中国では「ミレフ」、日本では「ミロク」となったのです。  また阿弥陀仏についても、仏教史学の権威アルティ氏は、 「阿弥陀仏の教義は……インドでつくられたものではない。中国仏教は、カシュミールやネパールから伝来したもので、阿弥陀仏は、当時この地方に影響を与えたペルシャのゾロアスター教とキリスト教に起因する」  と述べています。  また聖書には、 「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづく」(コリント人への手紙第二、四・一八)  とあり、変化きわまりない世界の奥に、永遠なるものを見ています。大乗仏教が「常住なるもの」を強調するようになった背景にも、こうした聖書の思想の影響があったに違いありません。 ミロクは、インドのマイトレイアに由来するが、 マイトレイアはヘブル語のメシアから来たものである 仏教は混合宗教  では、歴史的にはどのようにして、キリスト教の思想が大乗仏教の思想の中に混入していったのでしょうか。  紀元一世紀に、イエス・キリストの十二弟子の一人トマスは、キリストの昇天後、中国およびインド地方に伝道に行き、インドで殉教したと伝えられています。実際インドでは、すでに二世紀にはキリスト教徒の数もかなりのものになり、三世紀にはキリスト教の団体もありました。  したがって、大乗仏教「八宗の祖」と言われるインドの「龍樹(りゅうじゅ)」(紀元一五〇~二五〇年頃)が、キリスト教思想に触れたことは、確実とみられます。  彼は「龍宮」で法華経を授けられ、その後「南天の鉄塔中で、金剛薩た(「た」の漢字は「土へん+垂」)(こんごうさった)から大日如来に関する経典「大日経」を授かったと主張しています。  しかし龍樹は、その「龍宮」や「南天の鉄塔」がどこにあるかを語らないし、また、いかにしてそのような神秘的な経典授与がなされたかについても語りません。また『神道と仏教とをただす』(ニューライフ出版社)の著者・森山諭師が述べているように、龍樹が授かったとする大日経も、その内容は太陽崇拝、バラモン教、キリスト教、ゾロアスター教などの影響を受けた混合宗教であることが、歴然としています。  したがってこれらの経典が、誰から授けられたにしても、あるいは龍樹自身の創作によるものであったにしても、彼以後、仏教思想は大きく変貌したのです。  また龍樹は経典を授けられた際、金剛薩た(「た」は「土へん+垂」)から「潅頂」(かんじょう)を受けたとされていますが、これは頭に水をかける儀式で、彼以前の仏教にはなかったものです。龍樹は、おそらくキリスト教の洗礼をまねて、こうした儀式を取り入れたのでしょう。  その後も、"他の宗教思想の影響を受けて常に変化していく"という仏教の混合宗教としての性格は引き継がれていきました。  中国では唐の時代に、「景教(けいきょう)」(ネストリウス派キリスト教)が伝えられ、その信仰が広まっていました。六三五年に、ネストリウス派キリスト教徒アラボンは、二一人の信徒を率いて中国に渡り、聖書や教理を漢文に訳して、唐の皇帝(太宋)に献納しました。皇帝は、それを読んで感激し、 「これほどの真理は儒教にも仏教にもない。朕(私)自ら信じるから、全国民よ、朕に学べ」  と命じました。このネストリウス派キリスト教が「景教」で、景教は七世紀から一二世紀にかけて、中国で栄えました。 景教流行碑(中国、西安)。 唐の時代の中国で景教は流行した。  日本に景教が正式に伝えられたのは八世紀で、この時より朝廷の記録に、景教の用語である「景福」という言葉が出てくるようになります。またこの時より、もともと仏教にはない「滅罪」思想がうたわれた「懺悔滅罪寺」が現れます。これは、キリスト教の影響でしょう。  今も毎年宮中で演奏される雅楽の「越天楽」(えてんらく)は、「ペルシャから伝わった景教の音楽です」と日本雅楽会会長・押田久一氏は断言しています。  さて、九世紀に「空海」は、中国(唐)へ渡って真言密教を学びましたが、この「真言密教」は、当時中国に影響を与えていた様々な宗教の混合宗教でした。真言密教の立宗者(不空三蔵)のいた中国の首都・長安では、当時、景教寺院、仏教寺院、ゾロアスター教寺院、道教寺院などが、軒を並べて建っていたのです。  真言密教の内容は、明らかに仏教とは異なるもので、そこにはゾロアスター教や、景教、バラモン教などの影響が歴然としています。  空海自身、中国にいたときに、景教に触れる機会がありました。空海は、景教徒の般若三蔵(はんにゃさんぞう)という人物に会い、景教の知識を吸収しました。般若三蔵は、「大秦寺」(だいしんじ)という景教の教会を営んでいた人物です(大秦とはローマ帝国のこと)。  詳細は省きますが、空海は彼とかなりの議論をしました。とくに絶対者をめぐっての論争です。さらに、実在する救い主は誰かという論になったとき、空海は、 「それは仏陀だ」  と言いました。それに対し般若三蔵は、 「違う、イエスだ」  と反論しました。こうして空海は、キリスト教についてかなりの知識を吸収したのです。  もしこのとき、般若三蔵の個人伝道が成功していたら、日本の歴史は変わっていたかも知れません。しかし彼のキリスト教伝道は成功せず、空海はクリスチャンにはなりませんでした。  というのは、残念なことに般若三蔵は、純粋なキリスト教的考えの持ち主ではなかったのです。彼は、旧約聖書は般若心経と同根の経典だという考えを持っていました。混合宗教的な面が彼自身にあったのです。  般若三蔵は、空海にそのことも述べました。これを聞いた空海は、表向きにはキリスト教徒になりませんでしたが、以来、空海の思想の中には、キリスト教的なものが混合するようになりました。  また空海は、般若三蔵に紹介されて、すぐ近くに住んでいた景教の僧「景浄」にも会ったに違いないことは、ほとんどの学者の間で意見が一致しています。空海は中国で「マタイの福音書」や十戒、その他キリスト教文書を得たであろう、という学者もいます。  さらに空海は「潅頂」(キリスト教で言う洗礼)を受けましたが、彼には「遍照金剛」という潅頂名が与えられました。「遍照」とは"広く照らす"の意味で、これは聖書「マタイの福音書」五章一六節の、 「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」  の漢語から取ったものだと言われています。  また、空海の開いた真言宗の本山である高野山で、多数の聖書が読まれたことも、明らかにされています。しかし、空海は、日本の稲荷神社さえ信じた混合宗教者であったため、キリスト教の教えさえも純粋な形では伝えられなかったのです。  空海は、死に就こうとするとき、弟子たちに次のように語りました。 「悲嘆するなかれ。われは……弥勒菩薩(みろくぼさつ)のそばに侍するために、入定(死ぬ)するが、五六億七〇〇〇万年ののち、弥勒と共にふたたび地上にまみえん」(仏教では、弥勒が現われるのは五六億七〇〇〇万年の未来とされている)  将来人々を救いに来るという「弥勒」の来臨の時に、自分も復活するというこの信仰は、まさに、"キリストが再来するときにクリスチャンは復活する"というキリスト教信仰と同じものです。  さらに、一〇世紀になると「称名念仏」の信仰が広まり始め、一二世紀には、法然や親鸞が「南無阿弥陀仏」の念仏を大衆化しました。  「南無」とは、「帰依する」とか「信仰する」という意味で、「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀仏を信じます」とか「阿弥陀仏に帰依します」という意味です。法然や親鸞は、この念仏を唱えるならば、誰でも浄土(キリスト教でいう天国)に生まれることができ、救われると説いたのです。  こうして仏教思想が、"神的存在者(阿弥陀仏)の名を唱え、信仰を表明するならば、誰でも救われる"というかたちになっていったのは、聖書「使徒の働き」二章二一節の、 「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる」  というキリスト教信仰が、様々なプロセスを経て、仏教思想に影響を及ぼしていった結果にほかなりません。  仏教思想は、その他さまざまな人物、状況を通して変貌していきました。  もともと「無我」(無霊魂)を標榜して立っていた仏教は、いつのまにか「我」(霊魂)を認めるようになり、しかも有神論と未来的生命を唱え出し、「自力」を改めて「他力」となし、「未来往生成仏説」を説くようになったのです。  このように仏教は、明らかに混合宗教なのです。 久保有政著 【参考: 仏教化されたキリストの復活・昇天の絵】  下の写真は、仏教研究家E・E・ゴルドン氏によって紹介された仏教画で、中国から伝来したものである。この絵は昔、法然上人によって発見されたとの伝説があり、京都市黒谷の永観堂(あるいは真如堂?)に保存されている。  絵は上中下の3段から成り、下段では達磨(頭に布をかぶっている人物)が、釈迦の弟子の阿難陀と語っている。  中段では、一同が空虚な墓の前へ行っている。  そして上段では聖者が後光を放ち、雲に乗って昇天するのを、一同が拝んでいるのである。  かつて仏教の僧侶をやめてキリスト教の牧師になった経歴を持つ道籏泰誠(みちはたたいせい)師は、この絵について、  「これは言うまでもなく、キリストの復活・昇天の絵を仏教化したものだ」  と述べている。  キリストの使徒トマスは、インド・中国方面に伝道に行ったと伝えられている。この絵はおそらく、使徒トマスが復活のキリストにお会いした時の体験を人々に語っている光景を、仏教化したものだろう。すなわち使徒トマスが達磨に置き換えられ、仏教画に作り替えられているのである。

大乗仏教に見られる キリスト教の影響 仏教は、インドに伝わった東方キリスト教から大きな影響を受けた インド、チェンナイ(旧マドラス)にある使徒トマスの墓。 トマスはインドで伝道をし、キリスト教はインドに広まった  仏教に対するキリスト教の影響について、もう少しくわしく見ておきましょう。  仏教と言えば、よく知られているように「小乗仏教」と「大乗仏教」があります。 「小乗仏教」(上座部仏教)とは、大乗仏教成立以前の仏教諸派の総称で、現在もセイロン、タイ、ミャンマー(旧ビルマ)、インドシナなどに見られる仏教です。  一方、「大乗仏教」は、旧来の小乗仏教が個人的解脱の教えであるのに対し、広く人間の全般的救済と成仏の教義を説き、一~二世紀頃に成立しました。中国、日本などに伝わった仏教は、大乗仏教です。 大乗非仏論  さて、この大乗仏教について、 「大乗仏教はシャカ自身の教えではない」  と言う「大乗非仏(だいじょうひぶつ)論」が、広く学者の間で論議されています。実際、大乗仏教の教えを検討してみるならば、シャカの直説とは言えない教えが数々混入していることは明らかです。  シャカは、長い苦行の末に「悟り」を開き、一切のものは空(無我)であると説いた人でした。彼は、この世界も、苦も、生も、死も、すべては空であり、実体のないものであると説いたのです。彼の思想は、もともと無神論で、神、あるいは神的存在者に関する思想は持っていませんでした。  ところが大乗仏教になると、「大日如来」(大ビルシャナ仏)とか「阿弥陀仏」とかいうような"神的存在者"が出てきます。 「大日如来」とは、「光明があまねく一切を照らす」という意味で、宇宙の実相を霊化した存在者です。また「阿弥陀仏」とは、極楽浄土に住むとされる神的存在者で、この仏を信じ「南無阿弥陀仏」と唱えれば、どんな人でも極楽に往生できる、と説かれたのです。  また大乗仏教には、「浄土」とか「仏国土」という思想があります。「浄土」(仏国土)は、キリスト教で言えば「天国」です。「浄土」の思想は、もともとシャカの教え、すなわち原始仏教にはなかったものです。  また、小乗仏教においては、この世界の事物は「空」(無我)であり「無常」であるという世界観にほとんど終始していたのに対し、大乗仏教になると、変化きわまりない「無常」の世界の奥に、さらに「常住なるもの」(変わりなく存在するもの)を捉えようとします。すなわち大乗仏教になると、移り変わる物事の奥に、"永遠的なもの"を探ろうとするのです。  また、大乗仏教の一派である浄土宗などになると、もともと原始仏教にはなかった「罪」の概念が、盛んに言われるようになります。例えば、親鸞は人間の持つ「罪」というものを強く意識した人ですし、寺の中にも「懺悔滅罪(ざんげめつざい)寺」と呼ばれるものが現われました。 「法華滅罪寺」(奈良市)  さらに大乗仏教には、末法思想と呼ばれる歴史観、および「弥勒」と呼ばれる未来の救い主に対する信仰があります。この思想によると、シャカの死後長くたった現代は"末法の世"で、シャカの教えが実行されず、世も乱れる時代であるとされています。けれども将来、「弥勒」と呼ばれる仏がこの世に現れて、シャカの教えに漏れた人々を救う、という信仰があるのです。  これは言わば、"救い主が将来この世に現れて、人々を救う"という信仰です。このような思想は、もともと原始仏教にはなかったものなのに、いったいどこからきたのでしょうか。 そこにはキリスト教等の影響が……  このように大乗仏教には、「大日如来」や「阿弥陀仏」というような神的存在者の思想、「浄土」の思想、「常住なるもの」の思想、、「罪」の思想、「弥勒菩薩」の思想など、もともと原始仏教にはなかった思想が、数々混入しています。  これらの思想は、キリスト教の知識を持っている人ならだれでもすぐわかるように、キリスト教の思想に、あまりによく似ています。実際、仏教史学の権威エリザベス・ゴードン女史は、例えば弥勒菩薩について、その語源を調べた結果、 「(弥勒の原語である)インドのマイトレィアは、中国ではミレフ、日本ではミロクで、これはヘブル語のメシア、ギリシャ語のキリストである」  と結論しています。ヘブル語の「メシア」が、インドでは「マイトレィア」、中国では「ミレフ」、日本では「ミロク」となったのです。  また阿弥陀仏についても、仏教史学の権威アルティ氏は、 「阿弥陀仏の教義は……インドでつくられたものではない。中国仏教は、カシュミールやネパールから伝来したもので、阿弥陀仏は、当時この地方に影響を与えたペルシャのゾロアスター教とキリスト教に起因する」  と述べています。  また聖書には、 「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづく」(コリント人への手紙第二、四・一八)  とあり、変化きわまりない世界の奥に、永遠なるものを見ています。大乗仏教が「常住なるもの」を強調するようになった背景にも、こうした聖書の思想の影響があったに違いありません。 ミロクは、インドのマイトレイアに由来するが、 マイトレイアはヘブル語のメシアから来たものである 仏教は混合宗教  では、歴史的にはどのようにして、キリスト教の思想が大乗仏教の思想の中に混入していったのでしょうか。  紀元一世紀に、イエス・キリストの十二弟子の一人トマスは、キリストの昇天後、中国およびインド地方に伝道に行き、インドで殉教したと伝えられています。実際インドでは、すでに二世紀にはキリスト教徒の数もかなりのものになり、三世紀にはキリスト教の団体もありました。  したがって、大乗仏教「八宗の祖」と言われるインドの「龍樹(りゅうじゅ)」(紀元一五〇~二五〇年頃)が、キリスト教思想に触れたことは、確実とみられます。  彼は「龍宮」で法華経を授けられ、その後「南天の鉄塔中で、金剛薩た(「た」の漢字は「土へん+垂」)(こんごうさった)から大日如来に関する経典「大日経」を授かったと主張しています。  しかし龍樹は、その「龍宮」や「南天の鉄塔」がどこにあるかを語らないし、また、いかにしてそのような神秘的な経典授与がなされたかについても語りません。また『神道と仏教とをただす』(ニューライフ出版社)の著者・森山諭師が述べているように、龍樹が授かったとする大日経も、その内容は太陽崇拝、バラモン教、キリスト教、ゾロアスター教などの影響を受けた混合宗教であることが、歴然としています。  したがってこれらの経典が、誰から授けられたにしても、あるいは龍樹自身の創作によるものであったにしても、彼以後、仏教思想は大きく変貌したのです。  また龍樹は経典を授けられた際、金剛薩た(「た」は「土へん+垂」)から「潅頂」(かんじょう)を受けたとされていますが、これは頭に水をかける儀式で、彼以前の仏教にはなかったものです。龍樹は、おそらくキリスト教の洗礼をまねて、こうした儀式を取り入れたのでしょう。  その後も、"他の宗教思想の影響を受けて常に変化していく"という仏教の混合宗教としての性格は引き継がれていきました。  中国では唐の時代に、「景教(けいきょう)」(ネストリウス派キリスト教)が伝えられ、その信仰が広まっていました。六三五年に、ネストリウス派キリスト教徒アラボンは、二一人の信徒を率いて中国に渡り、聖書や教理を漢文に訳して、唐の皇帝(太宋)に献納しました。皇帝は、それを読んで感激し、 「これほどの真理は儒教にも仏教にもない。朕(私)自ら信じるから、全国民よ、朕に学べ」  と命じました。このネストリウス派キリスト教が「景教」で、景教は七世紀から一二世紀にかけて、中国で栄えました。 景教流行碑(中国、西安)。 唐の時代の中国で景教は流行した。  日本に景教が正式に伝えられたのは八世紀で、この時より朝廷の記録に、景教の用語である「景福」という言葉が出てくるようになります。またこの時より、もともと仏教にはない「滅罪」思想がうたわれた「懺悔滅罪寺」が現れます。これは、キリスト教の影響でしょう。  今も毎年宮中で演奏される雅楽の「越天楽」(えてんらく)は、「ペルシャから伝わった景教の音楽です」と日本雅楽会会長・押田久一氏は断言しています。  さて、九世紀に「空海」は、中国(唐)へ渡って真言密教を学びましたが、この「真言密教」は、当時中国に影響を与えていた様々な宗教の混合宗教でした。真言密教の立宗者(不空三蔵)のいた中国の首都・長安では、当時、景教寺院、仏教寺院、ゾロアスター教寺院、道教寺院などが、軒を並べて建っていたのです。  真言密教の内容は、明らかに仏教とは異なるもので、そこにはゾロアスター教や、景教、バラモン教などの影響が歴然としています。  空海自身、中国にいたときに、景教に触れる機会がありました。空海は、景教徒の般若三蔵(はんにゃさんぞう)という人物に会い、景教の知識を吸収しました。般若三蔵は、「大秦寺」(だいしんじ)という景教の教会を営んでいた人物です(大秦とはローマ帝国のこと)。  詳細は省きますが、空海は彼とかなりの議論をしました。とくに絶対者をめぐっての論争です。さらに、実在する救い主は誰かという論になったとき、空海は、 「それは仏陀だ」  と言いました。それに対し般若三蔵は、 「違う、イエスだ」  と反論しました。こうして空海は、キリスト教についてかなりの知識を吸収したのです。  もしこのとき、般若三蔵の個人伝道が成功していたら、日本の歴史は変わっていたかも知れません。しかし彼のキリスト教伝道は成功せず、空海はクリスチャンにはなりませんでした。  というのは、残念なことに般若三蔵は、純粋なキリスト教的考えの持ち主ではなかったのです。彼は、旧約聖書は般若心経と同根の経典だという考えを持っていました。混合宗教的な面が彼自身にあったのです。  般若三蔵は、空海にそのことも述べました。これを聞いた空海は、表向きにはキリスト教徒になりませんでしたが、以来、空海の思想の中には、キリスト教的なものが混合するようになりました。  また空海は、般若三蔵に紹介されて、すぐ近くに住んでいた景教の僧「景浄」にも会ったに違いないことは、ほとんどの学者の間で意見が一致しています。空海は中国で「マタイの福音書」や十戒、その他キリスト教文書を得たであろう、という学者もいます。  さらに空海は「潅頂」(キリスト教で言う洗礼)を受けましたが、彼には「遍照金剛」という潅頂名が与えられました。「遍照」とは"広く照らす"の意味で、これは聖書「マタイの福音書」五章一六節の、 「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」  の漢語から取ったものだと言われています。  また、空海の開いた真言宗の本山である高野山で、多数の聖書が読まれたことも、明らかにされています。しかし、空海は、日本の稲荷神社さえ信じた混合宗教者であったため、キリスト教の教えさえも純粋な形では伝えられなかったのです。  空海は、死に就こうとするとき、弟子たちに次のように語りました。 「悲嘆するなかれ。われは……弥勒菩薩(みろくぼさつ)のそばに侍するために、入定(死ぬ)するが、五六億七〇〇〇万年ののち、弥勒と共にふたたび地上にまみえん」(仏教では、弥勒が現われるのは五六億七〇〇〇万年の未来とされている)  将来人々を救いに来るという「弥勒」の来臨の時に、自分も復活するというこの信仰は、まさに、"キリストが再来するときにクリスチャンは復活する"というキリスト教信仰と同じものです。  さらに、一〇世紀になると「称名念仏」の信仰が広まり始め、一二世紀には、法然や親鸞が「南無阿弥陀仏」の念仏を大衆化しました。  「南無」とは、「帰依する」とか「信仰する」という意味で、「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀仏を信じます」とか「阿弥陀仏に帰依します」という意味です。法然や親鸞は、この念仏を唱えるならば、誰でも浄土(キリスト教でいう天国)に生まれることができ、救われると説いたのです。  こうして仏教思想が、"神的存在者(阿弥陀仏)の名を唱え、信仰を表明するならば、誰でも救われる"というかたちになっていったのは、聖書「使徒の働き」二章二一節の、 「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる」  というキリスト教信仰が、様々なプロセスを経て、仏教思想に影響を及ぼしていった結果にほかなりません。  仏教思想は、その他さまざまな人物、状況を通して変貌していきました。  もともと「無我」(無霊魂)を標榜して立っていた仏教は、いつのまにか「我」(霊魂)を認めるようになり、しかも有神論と未来的生命を唱え出し、「自力」を改めて「他力」となし、「未来往生成仏説」を説くようになったのです。  このように仏教は、明らかに混合宗教なのです。 久保有政著 【参考: 仏教化されたキリストの復活・昇天の絵】  下の写真は、仏教研究家E・E・ゴルドン氏によって紹介された仏教画で、中国から伝来したものである。この絵は昔、法然上人によって発見されたとの伝説があり、京都市黒谷の永観堂(あるいは真如堂?)に保存されている。  絵は上中下の3段から成り、下段では達磨(頭に布をかぶっている人物)が、釈迦の弟子の阿難陀と語っている。  中段では、一同が空虚な墓の前へ行っている。  そして上段では聖者が後光を放ち、雲に乗って昇天するのを、一同が拝んでいるのである。  かつて仏教の僧侶をやめてキリスト教の牧師になった経歴を持つ道籏泰誠(みちはたたいせい)師は、この絵について、  「これは言うまでもなく、キリストの復活・昇天の絵を仏教化したものだ」  と述べている。  キリストの使徒トマスは、インド・中国方面に伝道に行ったと伝えられている。この絵はおそらく、使徒トマスが復活のキリストにお会いした時の体験を人々に語っている光景を、仏教化したものだろう。すなわち使徒トマスが達磨に置き換えられ、仏教画に作り替えられているのである。

アーサー王

5世紀後半~6世紀はじめ。ブリテンのモナーク。
Glastonburyabbey
(アーサーが眠るというグラストンベリー修道院)

THE KNIGHT STORIES によれば、アーサー王は AD500年代初めに
ローマン・ケルトのブリトン人を率いてサクソン民族の侵攻を撃退した人物。

伝説上の王としてのアーサー王は、
超自然的な存在や人間から、ブリタニア国を守る屈強な戦士として、描かれた。

アヴァロン ・・・

戦で致命傷を負ったアーサーが癒しを求めて渡り最期を迎えた島。<AVALON>

ブリテンにあると言われる。

そして、

イエス・キリストが、アリマタヤ・ヨセフと、ともにブリテンを訪れた際の上陸地。

そこがイギリス最初のキリスト教会となったと語られる。

アヴァロンの場所は、今日グラストンベリーではないかと考えられる。

アヴァロンは美しい林檎で名高い楽園であった。

ケルト・ランゲージで林檎を意味する「abal」に由来する地名らしい。

(ギリシャ神話にも、黄金の林檎で知られる楽園の記述がある)


アヴァロンはキング・アーサーの遺体が眠る場所とされる。

異説によれば、アーサー王は未来のいつかに目覚めるため、ここで眠っているだけだという。



アーサーは、サクソン人を撃退し、

ブリテン、アイルランド、アイスランド、ノルウェー、フランスにまたがる王国を建設した、とされる。

アーサーの父ペンドラゴン、マーリン・ザ・ソーサラー、グィネビア妃

といった、キング・アーサーに関係する人物も有名である。


エクスカリバー

Excalibur

アーサーが持つとされる剣。魔法の力が宿る。ブリテンの正当な統治者が持つとされた。


アーサーはこの石に刺さった剣を引きぬいて王になる。

石に刺さった剣を引き抜くことは、「本当の王」、

すなわち神により王に任命された者にしか出来ない行為だった。



アーサーの出生

ユーサー・ペンドラゴン(アーサーの父)は、敵対国コーンウォール王ゴルロイスの妃イグレーヌに恋をし、イグレーヌを奪うためコーンウォールに攻め入った。マーリン・ザ・ソーサラーの力を借りてゴルロイスに変化、・・・ゴルロイスに姿を変えたペンドラゴンとイグレーヌは肉体関係を持つ。彼らはその後結婚。子が出来るが、その子をマーリンに預けた。この子がアーサーである。


キャメロット

Camelot

キングアーサーの建設した王国ログレスの首都。

この地にキャメロット城がつくられた。

そこから多くの戦いに出陣したという。

その正確な位置は失われ分かっていない。


ティンタジェルTintagel

UKの、コーンウォール地方の村。

この地に所在するTINTAGEL CASTLEはアーサー王に関係する城だったという伝承がある。

最近では観光地として有名。日帰り旅行の目的地。

アーサー王の生誕の地として紹介されている。


モードレッド(Mordred)

勇猛な騎士。アーサーの甥または息子と言われる。

アーサー王に対して謀反を起こし、カムラン(正確な場所:不明)の戦いでアーサー王に致命傷を負わせるが、戦死。

アーサー王は槍でモードレッド卿を討ち果たすが、アーサーもまた深手を負う。

死を悟ったアーサー王は最後まで付き従った円卓の騎士ベディビアに、

聖剣エクスカリバーを湖に投げ入れるように命じた。

王は傷を癒すためにAVALONに向かうもそこで死を迎えたとも、

今なお回復の途上にあり、いつの日か再び現れブリテンを支配するともされている。


*アリマタヤ・ヨセフが、キリストの磔刑のさいのイエスの血を聖杯で受けたとという伝承もある。

アリマタヤ・ヨセフは、その聖杯とともにブリテンAVALON島に渡ったという伝説もある。

現在のグラストンベリー修道院とされている。

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