Paul Delon's Film Festa

ポールドロン・エンターテインメント公式ログ

カテゴリ: Paul Delon

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 私は、カナダに向っていた。

 カナダは一年間程かつて居たことがあった。カナダとアメリカは類似点も多いが、カナダならではのカルチャーも非常に多い。

 カナダは時間が独特に流れている。アジアに長く居ると、その喧騒の中でまいってしまう精神を感じることもあるだろう、・・・そういった時はカナダに行ってみることだ。強大な景観、人間はそこに包み込まれる。グレートネイチャーとうまく付き合っていく国民性、それがカナダだ。アジアも確かに面白い。台湾、ソウルのハイテク世界も確かに面白い。だが、スピリットをもう一度元気にするのはカナダだ。その土地だ。大地である。

 私はしばらく仕事を休んだ。そしてエアカナダに乗り込んだ。高雄美麗からバンクーバー、所謂VAN-CITYまで、10時間あれば到着する。とりあえず、多くのフォーリナーが闊歩するコマーシャルドライブを歩く。コマーシャルドライブは、多様な文化が入り乱れている。米国北部のハーマンメルヴィルの描く漁港で味わえるようなクラムチャウダーの店から、阿弗利加サウンドを奏でるMUSICA集団まで・・・。果物や野菜は美味しいものを売っている。私は、そこで1DOLLARリンゴを買い、歩きながら食べた。私はよく昼ごはんをリンゴかじりにする。英国では、アヴァロンでリンゴを買い、キリストの聖杯が沈められているという池の湧き水で洗って食べた。

 かつてパウロコエーリョの星の巡礼を読みながら旅行したことがある。本は旅に合う。こんなITAI、デジタル、メタベースの時代になっても、紙の本は旅に合う。さて、どこに今回の旅では宿を取ろうかと考えていた。果物屋さんの張り紙にレントの広告があった。『マットのアパート』というのがあるらしい。いわゆるシェアハウスだ。そこに一ヶ月入ることになった。バンクーバーの大通りビクトリアドライブに近い。場所は便利であった。バンクーバーは集落があれば、周辺にマーケットも存在するので、のんびり生活できる。よくできた町だ。

 私は、スーパーヒーローとしての忙しかった生活を忘れ、のんびりした。アジアに居たときは、アメリカ・メソアメリカのカルチャーを楽しんで、そういった店をよく出入りしていた。ビレバンやチチカカだ。しばらく日本の山口県に居たころは、そういった店を休みによく散策した。そして、ブラジル式コーヒーの、『カフェ・ド・セントロ』でエスプレッソとサンドを頂くのだ。パナマ帽をいつも被っていた。あれはあれで、いい時代だったのだ。私はブラジルに憧れていた。

 アメリカ大陸は、アジア人の夢だ。アジアの人々にとって、アメリカ大陸からやってくるカルチャーはいつも興味の対象となる。一時期、『Xファイル』というアメリカンTVシリーズが流行った。私は世代的にその直撃を受けた。FBIのモルダー捜査官を演じた、デビッドドゥカブニーは圧倒的なヒーローとしてアジアをも席巻した。そうだ、あのTVシリーズでモルダーが求めていたのは、地球外に住む、知性を持った生命体だった。あのシリーズは、プロデューサーのクリスカーターがバンクーバーで製作した、という。世紀末、バンクーバーは宇宙人リトルグレイで沸き立った。バンクーバーには宇宙人が住んでいるという噂も飛び交っていた。世界のSFファンの注目がバンクーバーに集まっていた時期があった。

 じつは、バンクーバー周辺は映画の町でもあるのだ。ハリウッドの映画プロデューサーらが、バンクーバーの映画スタジオで撮影していることはかなり多い。また、バンクーバー市内、および近郊でロケーション撮影された映画はあまりにも多い。 Santana - Oye Como Va が、イヤホンから流れていた。この曲がコマーシャルドライブにとても合う事に気付いた。

 私は今後一ヶ月住むことになるマットのアパートに荷物を持ち込んだ。部屋でPCを広げ、Wi-Fiを繋ぐ。これは私の大きな情報源だ。マットのアパートは5人でシェアされていた。4人とはうまくいったが、Nという男とはあまりうまく行かなかった。Nは横暴であったからだ。まあ、仕方ない。私は近所の湖に面したパークへ時々行った。

 カナダのアパートにはケーブルテレビ・コミュニティテレビが設置されているところが多かった。わりと面白い番組がループで放送されていた。コミュニティ関係のローカル情報は役に立った。そうした生活の中で、Nとはあまり付き合わず、のんびりと新作映画の脚本に着手していた。カナダのバンクーバーという町は非常に歩きやすいところでもある。アパートからダウンタウン迄、よく歩いていた。途中にベトナム系コミュニティなどもある。多様な民族が同居するこの町・・・、わたしは大好きである。VAN-CITYの中央には台湾系チャイナタウン・コミュニティが存在する。日用の買い物にはとてもよい。ときどき旧友のサイドに連絡した。メルボルンでワイフと生活して居るそうだ。

 チャイナタウンはペンダ―ストリートに位置する。マットのアパートからダウンタウンへ向うと、チャイナタウンを通り過ぎて行くことになる。グレーター・バンクーバーの全体的な佇まいは、このような雰囲気で落ち着いている。

 新作映画の脚本も軌道に乗りはじめた。ときどきサイドがネットでアドバイスをくれる。サイドと知り合ってからの、サイドの助言が私の創作にとても力になっていると分かってきた。


 そんなとき、シェアリングパーソンNに異変が!

 Nの目が、あのスターウォーズのアナキンが正気を失った時のような、燃え上がる欲望のような真っ赤で炎のような目に変わっていた! それは、憎しみと怒りに取りつかれていた。

 一体、彼はなぜこのようになった?! どうやら、彼はタイムエンペラーに関わっていたようだ。タイムエンペラーとは、・・・・・正確なことは謎に包まれているが、宇宙人がつくったプログラムらしい。ここで断っておかねばなるまい。宇宙人らの弁護のためだ。たとえば、地球に人間らが住んでいるが、そのうちに凶悪な犯罪者もいる。宇宙人らも同様だ。同じ太陽系外惑星の出身者でも、良い奴もいれば、悪い奴もいる。彼らもまた、画一化で定義されるものではない。どうやら、『タイムエンペラー』という地球征服プログラムは、悪い宇宙人らが設計したようだ。『タイムエンペラー』システムは、地球人のなかに潜んで、地球征服を画策するのだ。Nは、確かに過剰な怒りと憎しみを持った人間だった。彼は自己をコントロール出来ぬほどに、そうであった。それが、タイムエンペラーの狙い目となる。タイムエンペラーは、そのような人間に同化するのだ。タイムエンペラーは首の後ろ辺りに卵のようなカプセルとなり、人間に棲みつく。そして、カプセルから粒子パーティクル化された状態で現れ出でる。そして、パーティクルがその人間を取り囲み、『タイムエンペラープロテクター』となり、黄金の兜武者のようになり、世界を征服しようと行動するのだ。


*** *** ***


 そして、Nは蒸発した。ある日、Nはタイムエンペラーの黄金の鎧に取りつかれ、取り囲まれ、そのメカの内部へと同化し、・・・そう、それはまるで、20世紀奇妙SF映画『TETSUO』の主人公のようになり、メカと化したのかも知れず、・・・そして、タイムエンペラーはNと合体し、次元の彼方にか、パラレルワールドにか、怒りと憎しみとともに消失したのだ、あるいは、その怒りと憎しみが次元を歪ませ、クオンタムルートを造り出したといってもいいのかもしれなかった。

 Nは憎しみと怒りとともに、何処へ消えてしまったのだろう・・・。私に、とくにそれに関わる義理などはなかったが、Nは犠牲者であり、この事件を追うことは、新たな犠牲者の発生を阻止することになる。その動機で私はNの手掛りを探した。

 私の拠点を、それでキングジョージ駅そばのグロースクリークハウスへ移動した。この辺は、サリーと呼ばれる地区だ。グレーターバンクーバーは、バンクーバー、バーナビー、サリー、ニューウエストミンスターの地区に分かれる。超他民族社会はモザイク的に形成され、地区によって、民族分布モザイクがそれぞれ特徴を持っているのが、このVAN-CITYだ。このようなシティゆえに、あの名作SF小説『ニューロマンサー』が生まれる下地になったのだろう。そう、サイバースペースは、80年代から動き出していたのだ。

 バンクーバーを渡る列車スカイトレインは、それぞれが自分の好みを駅でベースに活用すればいい。グランビルステーションは、バンクーバー中心街の使いやすい駅となる。この駅を中心街のベースにすれば、そこから歩きで(ちょっと距離はあるが)シネワークスなどの映画製作オフィスまで行ける。私はかつてそこで仕事をしていた。シネワークスでは映画の編集を3ヶ月ほどやっていた。シネワークスは、表はシネマテークになっていて、ワールドシネマをよく上映していた。ヴィスコンティの特集週間や、ロシア映画、バンクーバー国際映画祭作品や、アトムエゴーヤン作品、古典SF映画、2001年、ソラリス、キンザザなど、・・・様々な世界を体験できた。シネワークはバックドアから出入りする。私は朝まで映画の編集をし、バックドアから朝日を浴びながら帰宅したりしていた。近所のコーナーにスターバックスがあり、そこでよくチャイティーを飲んでいたが、カナダ西岸では、どちらかといえば、WAVESのチャイのほうが好みの味だ。

 夜遅くグランビル駅を通って、スカイトレインで当時の下宿のあった29番アベニュー駅エリアへ戻る日もあったが、そのときはよく、英国人が経営するグランビル構内の春巻屋で夕食を買って帰った。3ヶ月の間、いつ終わるとも知れない、国連職員が冒険に巻き込まれるSF映画の編集をしていた。

 この映画である。

https://www.youtube.com/watch?v=70MxEsHBGXc


 バーナビーのディアレイクにもよく行った。そこで人生のことをいろいろおもって泣いた日もあった。あふれるほどの緑だった。美しい緑だった。


*** *** ***


 グロースクリークでの滞在は、主にハイパーネットを介しての調査となった。ハイパーネット上の情報をたどり、Nつまりタイムエンペラーが現在どこを漂流しているのかを突き止めようとしていた。Nは、もう完全に憎しみと怒りのパワーによって自ら崩壊し、玄夢のかなたを彷徨って居るかもしれないのだ。その兆候はあった。Nとタイムエンペラーは完全なる合体をしてしまったのだ。怒れる者の行き着く先なのかもしれなかった・・・・・・・・・・。

 タイムエンペラーシステムは悪い宇宙人が、人間が持つ怒りと憎しみのマイナスパワーを利用し、システム自身の力を増幅し、その悪しき力を持って地球を征服するためにつくりだしたらしい。そういうプログラムになっている。良き宇宙人もまた、このバンクーバーで密かに活動し、タイムエンペラー打倒に向けて動いていると聞く。


 サンチャゴ博士から連絡が入った。ハイパーネットの中継プレースでもあるグロースクリークは、台湾と秘密の回線があった。ここは、リラックスして仕事ができた。近くには台湾出身のカウボーイが居て、彼は白い木造のコロニアル建築のチャイニーズカフェをやっていたが、そこのチョーメンはうまかった。年の頃還暦くらいの台湾出身のカウボーイは、どうやらサンチャゴと知り合いの様子だ。サンチャゴとはサイモンフレイザー大学で同期だったみたいだ。彼は、ボンジョビの『ブレイズ・オブ・グローリー』のCDをかけた。チョーメン、台湾、カウボーイ、ウエスタン映画、カントリー、ロック、コロニアルハウス、青い空、・・・みごとに調和していた。


 サンチャゴの通信が私のPCにハイパースカイプを通して現れた。

「キバー・プンダー、・・・私だ、サンチャゴだ。今は高雄にいる。高雄のルイグービルに拠点を移した。悪い宇宙人に狙られたからだ。私は今、良き宇宙人グループと接触に成功した。われわれは、良き宇宙人がわにいる。悪しき宇宙人らは、タイムエンペラーを使って、独裁を企んでいる。恐怖政治だ。やつらはかなり手ごわい。しかし、システムは大きくサイバースペースに依存していると分かった。つまり、サイバースペースの内部に入り込んで、やつらを一網打尽にできる、そういうことだ。」

 サンチャゴはそう私に伝えた。簡単に言うが、どうやってサイバースペースに入り込むというのだろう、そして、どうやってそこで対決できると言うのだろう? 映画ならば、いろいろある。はじめて軍事とコンピュータが密接になっていることを告げた映画は、ジョン・バダム監督の『ウォーゲーム』だった。もはや古典とも言われる傑作映画だ。あの映画では、核戦争がどちらの勝利ももたらさない、ということをコンピュータが学ぶことで、われわれは平和共存をすべきなのだ、と観客に伝えていた。凶暴な軍拡は、双方を滅ぼし合うだけだ。人類は何度も間違った。『ターミネーター』では、軍事用につくられた戦争プログラムが、かえって、コンピュータ同士のネットワークとなり、地上から人類を滅ばそうという選択をするAIが描かれた。それを止めるために、コンピュータのプログラムが書き換えられたロボットが、人類のリーダーを守るのだが、そのロボットは人間との交流によって、人間性を獲得していく。はたして、コンピュータ、AIは人間性を獲得できるのだろうか? そのとき、われわれと、人造人間はともに生きていくことが出来る社会を築けるのか? それが出来る人間もいるだろう、そして、出来ない人間もいるだろう・・・。だが、平和共存が大切だ。コンピュータはどこまで進歩するのだろう。小説では『ニューロマンサー』で、いわゆるサイバーギアをつけてサイバースペースの世界へ人が、ジャンプイン・ジャンプアウトする社会が描かれた。この執筆時代はPCがまだみんなの道具ではなかったので、サイバースペース・ジャンパーは、ひとつの職業として、プロだけがジャンピングインをなしえるものとして書かれた。その後、この小説の延長線上に『JM』があった。JMの主人公ジョニーもまた、ある意味、サイバースペースを渡り歩くプロで、そのなかで、危険な仕事をしていた。長すぎるサイバースペース体験は心身に悪影響であり、その悪影響を考えながら、サイバースペースの世界に入り込まねばならない。それほど入るのは自由ではない。そういう未来社会をロンゴ監督がある意味アーティスティックに描いていた。そして、『マトリックス』の登場だった。これは、サイバースペース映画の決定版のひとつと言える。これは、世界観が驚愕だった。つまり、すでに、この世界はマシンとコンピュータに完全に支配されていて、人々は眠らされて、脳にただ、コンピュータが作った情報としてのサイバースペースを与えられているだけの世界なんだ、という・・・。つまり、すでにこの世界がサイバースペースなのだ。なぜ、気付かない? そんな映画だ。 ほかに、コンピュータワールドに入り込む映画作品は、『TRON』ワールドがある。これは、壮大なコンピュータの回路の中に、人間が意識として入り込み、回路内部の争いで、やはり善と悪とが存在し、主人公はコンピュータ回路内部の悪と戦い、そして、回路の中のプログラムワールドに平和をもたらし、帰還する、という物語だった。 コンピュータのつくりだす壮大な世界にも、人間の持つ善悪が反映される。それは、支配と自由の概念と繋がる。それはコンピュータの世界を描いた文学だ。


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KYOTO


ヨシマックス


JCS
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賞状Godwin BEST VFX ARTIST
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Godwin by Jownmakc

このSF映画がおもしろい

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(c)2022 Jownmakc 映画『TAKA KURA OMEGA』、漫画『エルドラルド』の舞台となる架空の近未来タウン、GODWINを散策する、フィクションBLOG!!です、これは。

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