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1993-1994に、マイアミに居た。

そう、米国。 フロリダ州。

2年間。

マイアミ大学の映画学科で、北米商業映画を学んだ。
じつは、ここの先輩は、あの、シルベスター・スタローン。

彼も、その学校で学んで居た。

学生映画とかにも出ていたらしい。

マイアミは、あったかい。
冬でもあったかい。

海がきれい。

海が好きなひとは、マイアミが好き。
僕も好きだ。

マイアミ大学の映画学科では、まず、アメリカ映画の表現と歴史について学ぶ。

アメリカにおける映画は、大衆文化であり、エンターテインメントだ、よくもわるくも。

ヨーロッパにおける映画の在り方とは、すこし違う。

ヨーロッパでは、映画は、ある意味、絵画と似た意味を持つアートである場合も多い。

アメリカでは、それは、とことん、エンターテインメントだ。
それは、ブリテンにおけるサーカスに近いかもしれない。

そういう意味における映画を、まず学んだ。

アメリカは、20世紀を代表する、エンターテインメントの国だった。

20世紀はアメリカの時代だった。

映画は、そういったアメリカで、大衆文化としておおいに成長した。

いつのまにか、アメリカは映像づくりにおいて、世界最高レベルのテクノロジーを
もつようになっていった。

その起爆剤は、ジョージ・ルーカス監督のスター・ウォーズだったかもしれない。

映画史では、20世紀初頭までは、ヨーロッパ、たとえば、イタリア、フランス、ドイツ、イギリス
といった国々もアメリカと同じくらい映画が盛んだった。

いろいろな要因、言語的要因、資本的要因、戦争の勃発などで、
映画産業は、アメリカに集中していく時代がおきた。

ハリウッド初期は、チャプリンも、イギリスからアメリカに渡り、西海岸で映画を撮った。

世界で知られている、風と共に去りぬ、は、第二次大戦以前のハリウッドで作られた。

それは、当時として、豪華なカラー映画だった。
そういった時期には、ディズニー社が、これもカラーで長編アニメ、白雪姫を戦前に製作。

そこには、ものすごい資本が投じられたという。
エンターテインメントに、これほどの投資があつまるのは、アメリカしかなかった。

映画は、アメリカの文化である、とまで言われるようになる。

戦後も、映画文化の中心地はアメリカ・ハリウッドでありつづけた。

そういったことを、マイアミで学んだ。


そして、実際に映画をつくってみよう、という授業。
まずは、8MMを使った、2,3分のサイレント映画をつくる。

当時は、すでに、アナログビデオの時代だったが、映画を仕事にしたい、と
おもうものは、まず、FILMで撮影する、アナログ手法を学ぶのは、一般的
アメリカン・映画学校のコースだった。

そういった学びと同時に、より深くアメリカ映画、そして、世界の映画についての
歴史を受講する。

まあ、だいたい、映画を学ぶというのは、こうしたコースだ。
どこも似ていると聞く。


僕自身は、アメリカ映画の、スーパーエンターテインメント感もいいが、
同時に、フランス映画にも興味をもっていった。
そういう大学生活だった。

フランス映画は、ある意味、文芸のかおりがつよかったせいか、
80年代までにかなり、客をうしなっていた。
アメリカのエンターテインメントにまけてしまった感があった。
ところが、80年代に、フランスの新しい映画カントク、
つまり、
ジャンジャック・ベネックス
レオス・カラックス
リュックベッソン
といった若手が、
CINEMA DU LOOK
という方法論を出してきて、
フランス映画がかっこよくなった。
そういう時期に、わたしは、映画をまなんだのだ。


マイアミ大学は、スタローンの母校とはいえ、まあ、映画の本拠地のハリウッドからは
かなりはなれていた。

南東の果てから、西部の映画文化を、あこがれを持って、思い描きながら、
大学生活をおくる、というのが、マイアミスタイルの映画学校ライフだった。

それは、じつに、いい思い出だ。


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