古代史研究家の金達寿(きんだるす)氏は、八幡の「八」とは「多くの」という意味で、「八幡」とは「多くのハタ」であると説く。つまり八幡=「多くの秦」であり、秦氏にとっての総氏神であるという。
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また、八坂(やさか)を弥栄(いやさか)と書くように、八幡=「弥秦(いやはた)」であるという説もある。ここで「古語拾遺」の言葉を思い出すと・・・

「秦の字を訓じて、これを波陀(はだ)と謂う」

前述したように、秦氏は、もともと「はた氏」ではなく「はだ氏」といった。これを「八幡」=「弥秦」=「いや秦」に適用すると「イヤハダ」となる。

エルサレム教団はユダヤ人であった。もともと、ユダヤ人には姓が無く、古代ローマ帝国出身のユダヤ人が、中国へやって来たときに「秦」という姓をつけられたことも論じてきた。


「ユダヤ」はヘブライ語で「イエフダー(Yehu-di)」であり、アラム語では「イエフダー(Yehudai)」である。ヘブライ語もアラム語も基本的に子音表記なので、ヘブライ語でもアラム語でも、表記する時は「YHD」となる。

ここで、「八幡=イヤハダ(Yahada)」の母音を省略してみるとやはり「YHD」となる。


つまり、「八幡=イヤハダ(Yahada)」=「イエフダー(Yehudai)」の母音変化であることがわかり、「八幡」とは「ユダヤ」のことだったのである。

同時に、八幡神=「イエフダー(Yehudai)神」=「ユダヤ神」だったことも意味して来るのだ。ユダヤ神といえば、いうまでもなく「旧約聖書」や「新約聖書」の絶対神と言うことになるのだろう。