研究計画                       

                                         

                                             東 義真



 私は中心としては、メディアの世界では「漫画」「映画」「アニメ」を研究し、また実作してきた。 これらのものは、歴史的・時間軸的・パラレル的に繋がり合ったワールド・カルチャーである。日本の若年世代にとって最も身近な入口は、テレビにおけるアニメかもしれない。日本というカルチャー・ゾーンで成長したアニメ文化・漫画文化は、もともとはアメリカがアニメーションの一手法としてメジャーなものに発達させたセル・アニメーションをベースにしたものである。不幸な時期としての戦争を挟み、このアメリカン・カルチャーは戦後、日本独自のパラレル的発達を遂げることになった。漫画もまた同様である。

 また戦後、手塚治虫氏によって、ディズニーを代表するアメリカン・ポップカルチャーが日本的な変容を加えられ受容されるが、それらは、戦前からの阪神間モダニズムと繋がりあう中で日本独特のストーリーテリングとしての漫画を成長させた。同時に、アニメーションがアニメになっていくプロセスも、面白い。それらの変遷を研究し、プレゼンテーションを、阪神間モダニズムの中で日本にも流入したモンタージュ的ストーリーテリングの父、セルゲイ・エイゼンシュタインの生地ラトビアで行った。

 カルチャーは繋がり、分岐し、並行し発達し、また合流する。


 私がアメリカに滞在して居た時代には、まだインターネットなどの環境は不十分であり、世界の映像作品には比較的アクセスしづらかった。米国サンフランシスコ市のような多くのワールドカルチャーが混在するグローバルシティでも、例えば、LE VIDEOのような特殊なワールドシネマのストレジを抱えるショップでなければ、なかなか見る事の出来ない映像作品が多かった。現在はインターネット環境とネットを介した流通環境の進歩により、学生もワールドシネマにアクセスしやすい。

こうした変化が近年の映画表現の刷新を生んできたのかもしれないが、私もその研究をつづけ、また国際的なプレゼンテーションに参加していきたい。


 現在、アニメといえば、ヨーロッパ諸国やアジアにおいて日本アニメの知名度はかなり高いが、そのセルアニメーションがベースの技法とは別に、パラレルで発展したのは、カットアウトや人形アニメーションの文化を持つ、東欧、ロシアアニメーションである。アメリカを含む西欧圏と、東欧圏は、おそらく政治的な分断が、20世紀後半のメディアカルチャーのパラレル化に関係している。日本は政治的には前者のゾーンに入っていたが、距離的、および文化史、宗教史的には、必ずしも前者ゾーンとは言えず、そこにジャパナイズされたメディアカルチャー、アニメカルチャーの育成が起きた。

 しかし、これは意識的というよりも、無意識的であったところが大きい。何よりもまず創作者であるアニメ関係者が、それほど日本アニメやポップカルチャーの世界的な立ち位置を意識していない。無我夢中でやってきた、という面もあるのだろう。世界に浸透している日本のポップカルチャーの1つは、村上春樹ワールドである。彼は、自作がイデオロギー政権崩壊後の東欧などで最初に受け入れられたことを云っている。バブル崩壊後の日本とイデオロギー政権崩壊後の東欧に、何かの共通点を感じる、と。これは私小説的SF作品「エヴァンゲリオン」とも重なるのではないか、と感じている。

 西欧圏と、東欧圏の文化的対比に、SF映画表現をもってよく使用されるトピックは、2001年宇宙の旅と、惑星ソラリスである。両者ともに傑作であることは、いまさら言うまでもない。外のベクトルに開かれている前者と、内面の記憶のベクトルに入って行く後者。信仰と、イデオロギー。同時代につくられた、パラレルな意識世界の2つの表現。その中間にあるのが、村上春樹ワールドであり、エヴァンゲリオンではないのか。

 20世紀は敗戦の影響下で、日本はアメリカン・ポップカルチャーを非常に意識してきたが、現在、より世界がグローバル・アクセスの時代に入り、EU、東欧、メキシコ、広範囲のアジアにおけるメディア・コンテンツとの相関関係が研究されるべき時代に入ったと言える。そうした世界のクリエーターたちとのセッションを持ち、シンポジウム的なものを開催し、発信していくことも計画している。