Paul Delon's Film Festa

ポールドロン・エンターテインメント公式ログ

March 2020

フィルムストック映画祭参加のために、英国へいった。
(ポールドロン)

英国は、おもしろいカルチャーやクリエーションでも有名だ。

その1つに、名探偵シャーロックホームズがいる。

日本でも、かつてジェレミーブレット主演のTV版ホームズが人気を博した。

また、宮崎駿監督の「名探偵ホームズ」も大人気だった。

そんなホームズですが、ベーカー街に、ホームズの家を再現した
ミュージアムがある。

マストシーです。

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自作映画「MASK TRIP : VALDAT」が、英国フィルムストック映画祭で
ゲスト上映されたことで、英国旅行をした。

1500年ほど前に、英国の初代キリスト教王となった、アーサーの墓所と
いわれているアヴァロン(現在の街の名は、グラストンべリイ)。

アヴァロンは、小高い丘だが、むかしは、周囲は沼や湖がひろがり、
そこは、島だった、という。

そこから村を見る。




 

An Italian Rabbit, Bergus In :
BERGUS OF ITALIA
by Yoshimax

CONTACT:
yoshimax888@gmail.com




宇宙人は、いるのか?
そういう疑問は、おおくの人々がもっているだろう。

では、われわれが「宇宙人」といった場合の定義はなんなのだろう?

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90年代に放送された「Xファイル」のあまりのヒットによって、
うえのような、宇宙人イメージは、世界規模で一般化したような気がする。

このイメージは、1977年のSF映画、未知との遭遇からきているものともいえる。
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(1977年 アメリカ映画 スピルバーグ監督 未知との遭遇 より)

スピルバーグ監督は、わかいころ、SF映画で世界をおどろかせた。

そして、宇宙人=こういうもの、というイメージを世界に定着させた。

その延長線上に、いま、21世紀の、基本的な宇宙人イメージがある。

・・・・といえるかもしれない。


私は、いまかんがえると、あれは、飛行機だったとおもうが、・・
UFOらしきものを、ちいさいころ、みた。


しかし、宇宙人が地球をおとずれている、というストーリーは、
なんとなく、ファンタジーをもって、そうかもしれない、とおもいつつ、
実際にちゃんと出会ったことはない。。

インディ・ジョーンズ4 クリスタルスカルの王国
(ジョージ・ルーカス製作総指揮 スピルバーグ監督 2008)

・・・では、上記の宇宙人のような生命体が映画に登場する。
それは、南米の古代文明に知恵を与えた存在、として描かれていた。

そこでは、「宇宙人」と呼称されず、
INTER-DIMENSIONAL BEINGとされていた。

この世界は多重次元構造になっていて、次元の間をいったりきたり、
または、次元と次元の間を住み家にしている、知的生命体、と・・・
そういう設定になっていた。

いまいち、どういう存在かは、はっきりしないが、そのアバウトさが、
むかしのアメリカにあったという、SFパルプマガジン風の展開と
ストーリーの再生だろう。

ストーリーを考案したルーカスは、そういうSFパルプマガジン
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上記のようなSF本にどきどきしていた世代だ。

ターザンとか、キングソロモンの秘宝、とか、
少年がドキドキするたぐいの、SFアドベンチャー。

その路線を行ったのが、
インディジョーンズ4.

はなしはそれたが、そんなこんなで、宇宙人のイメージの変遷がわかる。

ロズウェル事件(ロズウェルじけん、Roswell Incident)は、1947年7月アメリカ合衆国ニューメキシコ州ロズウェル付近で墜落したUFOが米軍によって回収されたとして有名になった事件。ロズウェルUFO事件(Roswell UFO Incident)とも呼ばれる。なお、付近といってもロズウェルからは70マイル離れていたが、ロズウェル陸軍飛行場(のちの ウォーカー空軍基地(1967年に閉鎖))が深く関わったため、ロズウェル事件と呼ばれる。世界で最も有名なUFO事件といわれている。

本事件に関する情報はきわめて多数あり大変混乱しており、本当に何か不可思議な事件が起きたのか、はたまた町おこしのための壮大なネタなのか、詳しいことは判明していない。

宇宙人、が、世界的な事件になったのは、うえの、ロズウェルのUFO墜落事件が、
世界に情報として波及したこともある。

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(ロズウェルに墜落したというUFOの写真↑)

これが、宇宙のどこかの星から来たものか、それとも、アメリカにおける
兵器開発の作り出した実験用の飛行隊の墜落なのか、・・・それは、
よくわからない。

これは、1940年代後半の出来事だ。

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1953年には、アメリカで、いろいろ、SFマガジンが出て、SF小説が
SF好きに愛読されるのが、普通になっていた。

この時代、ルーカス少年は、9歳くらい。

日本では、ドラえもんに憧れる年齢だ。

SF的なアイディアのとりこになってしまう少年の日々・・・。

サイエンスとしては、荒唐無稽だが、SFファンタジーとしては
夢があって、こころときめく。

1955年には、アメリカでは、ロサンゼルス郊外アナハイムに、
ディズニーランドが開園。

ここでも、少年の夢はふくらんだ。

1950年代は、アメリカは世界のトップを走り、SFファンタジーを
夢見る少年をたくさんはぐくんだ。

それが、映画カントク、ジョージ・ルーカスの10代だ。

いまの日本でいうなら、ちゅうに病というのの、はしりかもしれない。

それが世界に夢をとどける、ハイパー映画プロデューサーとなる。

***

映画のマジックはSFと親和性がたかい。

実際には出来ないことを、トリック的に、そう見えるようにみせるのが、
SF映画だからだ。

そして、こんにちVFXと呼ばれる
特撮技術ができてきたのだ!


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21世紀現在も続編が製作されるSTARTREK

Star Trek is an American science-fiction television series created by Gene Roddenberry that follows the adventures of the starship USS Enterprise (NCC-1701) and its crew. It later acquired the retronym of Star Trek: The Original Series (TOS) to distinguish the show within the media franchise that it began.

これは、1966~67年に放送されている

1968年には、現在もSFのマイルストンといわれる
2001 宇宙の旅
が製作されている。

あらゆる種類の宇宙人、・・・いろいろな形態が考案された。

日本でも、ウルトラマンやウルトラセブンが
1966~1970と、製作(円谷プロダクション)され、
日本中にTVをとおして、宇宙人(星人)という概念が浸透した。

あるいみ、陳腐なイメージになるくらい、宇宙人は、つかいふるされた。

しかし、公的に、はっきりした宇宙人と、地球人の交流は、いまだ認定されていない。。


宇宙人ははたして、いるのだろうか?


私は地元の図書館で過ごし、本にまみれ、ある時、書を離れ旅立った・・・・。

 放蕩の数ヶ月ののち、私は、カナダ・バンクーバー市のブロードウェイ駅から続くコマーシャル・ドライブを歩いていた。コマーシャル・ドライブは、そのインターカルチュラルな佇まいによって、多くの若者たちを惹きつける通りだ。
 私は、小説家という職業にあこがれ、自分流ではあったが、多くの文章を書き、ハイスクールでは、よく友人を読者にして、彼らを楽しませていた。しかし、私の小説を何度かパブリッシング・カンパニー(出版社)に送ってみても、出版に至ることはなかった。私は、文章を書くのと同時に、絵を我流で描いていた。
 私の小説への評価はパッとしなかったが、絵の方がよく売れた。私の父親は、キリスト教の伝道師だったから、私は小さい時から、父親についてゆき、多くの国や地域を旅した。それで、私は複数の言語をいつのまにか身に付けた。私のルーツはフランスであったが、上記の理由から、人生の最初の記憶は、アジアの東に位置するジャポンという国での生活だ。それは、オーサカだった。

 (旅の途上で、この記録を書き記したため、部分的に、私の第一言語である英語での執筆になっている。)

* 英語部分の日本語訳は、英文の後に付く。

Osaka,... the city is the second largest civilized area (megalopolis),
but my family and I was living in "Kanan", the small countryside zone,
which is very near the border between Osaka and Nara-prefecture.
In Japon, the pronunciation of the zone name "Kanan" is like "Canaan",
the name of the land that God promised to give to the descendants of
Abram. My memory is not great, so my knowledge might be a little bit
wrong...
I am a son of a preacher, but I have read the New Testament and only
the first several parts of the Jewish Bible. In Osaka, I learned
spoken Japanese language, so I still do not have troubles in
conversations for living in Japon.
I can say I am good at Japanese.

I wrote I am walking on Commercial Drive. So, I had better write how
I came to this place, Canada.(Vancouver)
I remember that was a year ago...
I was holding my artwork exhibition at a gallery in the small countryside
zone Kanan in Osaka, which could be called my spiritually born place for
many reasons.(There I experienced many joyful things and also hard times.)

 {英文の訳}
 私の居たオーサカというと、ジャポンの第二の巨大都市(メガロポリス)だが、私のファミリーが住んだのは、カナン町という小さな田舎町だった。たしか、カナンというのは、旧約聖書に登場するアブラムに関係する土地の名前と、ジャポンでは同様に発音する。私の記憶は、あいまいだから、違っているかもしれない。私は伝道師の息子だが、聖書は新約と、旧約のはじめの方しか読んでいないのだ。オーサカで、私はジャポンの言葉を覚え、ジャポンでの生活のための会話では、今もこまることはない。むしろ、私はジャポン語が得意だ。

 コマーシャル・ドライブを歩いていると言ったが、私がどのようにカナダにやって来たのかを言っておこうか。1年前の今頃、私は、たまたま、様々な意味での精神的故郷オーサカの田舎町(そこでは、多くの楽しい事、辛い事を経験した)で絵画の個展を開催していた。(上記英文の日訳・了)

 前に言ったように、私のファミリーの事情で、私は本当に多くの場所にいたことがある。
 ジャポン
 サウスコリア
 タイワン
 米国領マリアナ諸島
 ハワイ州
 上海
 香港
 バンコック
 クアラルンプール
 カリフォルニア州
 マイアミ
 シアトル
 メキシコ
 ニューヨーク
 ボストン
 ロンドン
 パリ
 ローマ
 スイス
 チェコ共和国
 アムステルダム
 ベルギー
 ミューニック
 フローレンス
 ・・・そんなところだ。

 その後、フランスの田舎町に移った。
 私は、あまり敬虔とはいえなかったが、時にはジャン・カルバンの教派のチャーチに顔を出していた。田舎町は、人間の伝統から生じた因習がまだ結構あったので、チャーチに行くことで、頭をすっきりさせることができたのだ。「何が見るべきものか」その方向性を再確認できるチャーチだった。
 そこで、私は、一人の日本人に出会ったのだ。彼は、日本にあるカルバンの教派の出身者で、オーサカの巨大エレクトロニクス企業から、フランス支社を設立すべく派遣されてフランスに居たのだ。当然、日常勤務はパリだったが、パリの喧騒を逃れて、その田舎町で、その週末を過ごしていたのだ。
 私が見た彼の印象は、「勇気と希望」だった。彼はそれらのエナジーを放っていた。私が読んだいくつかの本によると、そうしたエナジーを天性的に放つ者がいて、彼らは天性の企業家タレントを持っていることがある。
 礼拝の後、彼は私に、どこかうまいコーヒーを出すカフェはないか、と聞いた。
 そこは田舎だったから、それほど多くのEAT-OUTプレースはなかった。私は、教会の木造の天井を見上げながら、いくつかカフェを思い浮かべた。アーチ型のハリと柱が天井を支えているのが目に入った。そういえば、アジア風のディッシュも用意しているカフェがある、と思い出した。
 私は、そのオーサカからの日本人をそのカフェに連れていった。彼はエスプレッソを、私はチャイティーのラッテをオーダーし、二人とも、"COUSCOUS DE POULET AU CARI"を、その昼のランチにした。
 話しているうちに、二人とも、小さい頃の一時期をオーサカのカナンで過ごしたと分かった。
 人生には偶然というものはない、という賢人がいるが、私はその言葉に時々同意する。
 私たちは、二人ともカナンで生活した経験をきっかけに、多くの話に花が咲いたのだった。
 それが、のちに私に、カナダ・バンクーバー行きをもたらした。彼の名は、ヨシエモン J.S.R.(仮名)といった。ヨシエモンは、ビジネスマン本職であったが、多くのジャポネーゼ・トップ・マネジメントがそうであるが、彼もまた、芸術(美術にも音楽にも)に深く感動する性質だった。
 私は、父がアルバムに保存していたカナンの光景写真をモチーフに、いくつか絵を描いていたので、それらのPHOTOGRAPHSのメモリースティックにSAVEしていたいくつかをヨシエモンに見せた。
 彼は、それらをすぐに気に入り、彼のプロデュースのもと、私はカナンに久々に戻り、個展を開催したというわけだ。
 その個展でヨシエモンの会社のCOOが、かなりの額で会社33周年記念に、私の絵を買ってくれた。
 それで、私は、このコマーシャル・ドライブ(カナダ・バンクーバー市)に辿り着いたってわけなんだ。

 そして、私は、(企業名を明かすことは出来ないが)その企業のCEOであり、創設者のザビアーJ.S.R.(仮名)から、密命を帯びた。ザビアーは、変わり者だった。大企業を動かす人物は、非日常的な妄想に心を遊ばせることを趣味とする者がほとんどと聞くが、ザビアーもまた例外ではなかった。私は、肯定的ファンタジーは、人類にとって大きな宝であると考える人間だが、ザビアーの肯定的ファンタジーは、スケールの大きなものだった。それは、あまりにも大きい。私は、世界を旅し「宇宙人が存在する」という信じられるレポートを作成するという役をもらってしまったのである。その作成のための費用は、ザビアー財団から別会計で支給されたが、その金額をここに書くことは出来ない。それは、ザビアーに許されていないのだ。
 
 2008年8月8日。
 私は、カナダ・バンクーバー市のコマーシャル・ドライブ通りで出会った、とある女性(?)Rとともに、ロッキー・マウンテニア鉄道が有するウィスラー・マウンテニア・トレインに乗って、ウィスラー山にやってきた。私は、躊躇したのだが、Rは私を同室に泊めた。ヒルトン・ウィスラー・リゾートの1室だった。実は、トレイン・トリップについては全て、何故かRが出費してくれたのだ。ヒルトンに泊まると聞いて、私はロビーでパリスは居ないかと、キョロキョロした。(パリス・ヒルトンは、おそらく無料でヒルトンに宿泊できるのでは、と思った。)
 部屋に入るとすぐに、Rはシャワーを浴びると言い、バスルームに入った。それほど汗をかくような気候ではなかったので、私は、Rはすごく綺麗好きなのだ、と思った。
 Rがバスルームに入ったので、私はTVをつけた。くしくも今日は8月8日、どうやら、北京オリンピックがスタートしたようだ。開会式の映像が流れていた。世界の目がアジアに向けられている今、私は北米にいた。そういうことは、私の人生にはよくある。
 私は、先程、ホテルにチェックインする前に、ビレッジ・マーケットで買ったものを室内のテーブルに並べ、眺めていた。
 インスタントのパドタイ・ヌードル。
 ミスター・ヌードルズ(ベジタブル味)。
 青林檎。
 たしかトンプソンツインズという名の葡萄。
 パリス・トースト。
 ウィスラーの水。
 ハンガリアン・サラミ(アジアのヌードルによく合う)。
 オレンジジュース(ビタミンの補給が大切)。
 ミルクコーヒー。
 ヘインズのトマトジュース。
 
 時間が経った。
 私は眠ってしまっていた。

 私が目を覚ますと、目の前に、Rの光り輝く身体が見えた。

 私は、Rの光に包まれた。
 次の瞬間、私は、ウィスラーの頂きの見える場所にいた。
 側に巨大なシャトーが見えた。
 そして次の瞬間、私は、そのシャトーの中にいた。

 シャトーは、空に浮かんだ。
 シャトーが1つ消えても、この広大なウィスラーで気にする者はいない。
 ウィスラーの連なる峰を背景に、空を飛ぶシャトー、きっと絵になる風景だ。

 Rは宇宙人だったのである。

 私は、そのシャトーで、しばらく銀河を旅したような気がする。

 しかし、私は、気が遠くなり、再び目を覚ますと、ホテルのベッドに1人横たわっていた・・・。
 これは、壮大な旅路の予兆だったのだ。そして出会いの予兆だった。

 1998年に、バンクーバーは映画産業が注目され始め、その年は空前の宇宙人ブームだった。当時、『Xファイル』なるTVシリーズが大ヒットしていた。これは、バンクーバーで撮影された。(バンクーバーは、ハリウッド・ノースとも呼ばれ、北米第3の映画シティである。)その影響で、当時の旅行者は、バンクーバーの街を歩くと、本当にエイリアン・アブダクションが起こるのでは、とさえ思った。(シリーズでは、劇中舞台はワシントンDCとなっているが、多くの観客は、それがバンクーバーで撮影されていることを知っていた。)
 私は、これをきっかけに、世界旅行をスタートすることになった。私は、富豪ザビアーにだけは、より多くの真実を語らねばならない。彼は、単にお金を出すだけでは、私のプライドが傷つくだろう、と私の絵を買ってくれもした。それが、つまりは、世界旅行の資金になっているのだ。資金は、世界中のほとんどの地域で引き出せるシティバンクに入れておいた。ザビアーは、『Xファイル』と本当の宇宙人の存在の、何かの接点がバンクーバーにある、と彼の独特の嗅覚で察知したのだ。それは、現実のものとなった。

 資金の受け渡しの契約のため、ザビアーJ.S.R.と最終面接をする日のことだった。
 ザビアーの執務室のドアを開けると、俳優のマウント・サイドが居た。ザビアーは南半球をミスター・サイドに、北半球を私に任せた。ミスター・サイドも資金提供を受けていたが、それで、彼はザビアーがプロデュースする映画シリーズに出演することになっているのだそうだ。ザビアーがどんな映画をプロデュースしようとしているのか知らないが、彼は、一般的にまだ知られていない事実を知りたい性格の男なのだ。

 私には、これまで地球人は、多くの宇宙人たちに出会ってきているということが分かってきた。

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In 2012, Bergus Chan went to Cortona, ITALIA.
It was a great trip.
He loved much.

Bergus Chan is the space rabbit!

Contact:
yoshimax888@gmail.com

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