朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。

すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、

「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。

モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。

彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。

彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。

そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。

これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。

そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。

女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。

193578666_2782199818777342_1259552613746443904_n
e6a08d76-8a3a-406f-86fb-795c6a7a48e4
ELVIS BERGUS

その人は言った、「僕は近頃、息子が生まれた。だけど、この世界に生まれてくることが本当に素晴らしいことなのか、って時々悩む・・・」


隣人は答えた、「そんな疑問や悩みを持ったら、イエス・キリストの事を思い出せばいいさ。イエス様は、聖書の物語の順番で言うなら、最初の奇跡を『カナの婚礼』という結婚式で行ったんだ。つまり、結婚は神様に祝福されている、そういう事さ。そこで、主イエスは一瞬で水をワインに変えたんだ。すごい奇跡さ。でも神様にとっては何でもないことだった。だって、神様だもん! そしてイエス様は子供らを抱きかかえて彼らを祝福するんだ。子供がこの世界に生まれてくることをイエスさまは祝福してるんだ、わすれちゃだめだ。神様がこの事を祝福しているんだから、僕らはそれに反対することは出来ない」


120270820_2585303965133596_3446937280953846781_o

167206558_2729252164072108_322618188668743588_n


ある人に二人の息子がいた。弟の方が親が健在なうちに、財産の分け前を請求した。そして、父は要求通りに与えた[1]

そして、生前分与を受けた息子は遠い国に旅立ち、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。大飢饉が起きて、その放蕩息子はユダヤ人が汚れているとしている豚の世話の仕事をして生計を立てる。豚のえささえも食べたいと思うくらいに飢えに苦しんだ。

父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。彼は我に帰った。帰るべきところは父のところだと思い立ち帰途に着く。彼は父に向かって言おうと心に決めていた。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」と。ところが、父は帰ってきた息子を見ると、走りよってだきよせる。息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。

父親は、帰ってきた息子に一番良い服を着せ、足に履物を履かせ、盛大な祝宴を開いた。それを見た兄は父親に不満をぶつけ、放蕩のかぎりを尽くして財産を無駄にした弟を軽蔑する。しかし、父親は兄をたしなめて言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(口語訳新約聖書 ルカ 15:11-32

解説

この物語の主題は、神に逆らった罪人を迎え入れる神のあわれみ深さである。登場する「父親」は神またはキリストを、「弟」(放蕩息子)は神に背を向けた罪びとを、「兄」は律法に忠実な人を指しているといわれる。

放蕩息子であった弟が故郷に帰還し、父親に祝宴を開いて受け入れられるという物語を通して、神の深い憐れみの奥義が表現されている[2]

一方、弟のために開かれた盛大な祝宴を喜ぶことができず、父親に不満をぶつける兄の姿は、律法に忠実な人が陥りやすいファリサイ派の精神、傲慢さを表していると読むこともできる。この読み方によれば、兄をたしなめる父親のことばはファリサイ派のパン種(偽善・慢心)[3]に注意しなさいという、この兄のようないわゆる「善人」への警告を含んでいるとも読み取れる[4]マタイによる福音書20章1-16節)でイエスは「ぶどう園で働く労働者のたとえ」を語っている。一番はじめに呼ばれた労働者は午前9時から働いた。そしてある人は12時から、ある人は午後3時から、またある人は午後5時からという具合にぶどう園で働いてもらい、最後に主人は最後に呼ばれた者から順番に同じ金額の報酬を与える。このことに対し最初の労働者が主人に向かって不平を言った。放蕩息子の兄の不平はこの最初の労働者の不平と同じものと言えるのであろう。[5]

また同時にこのたとえ話は、神の楽園から追い出されていった創世記アダムエバ[6]の子孫である人類に対して、神の楽園への帰還を呼びかけるという、壮大な救済の物語を象徴的に重ね合わせている[7]

バーガスちゃんは、宇宙のうさぎ。
バーガスちゃんの、すてきな物語がはじまるよ。
バーガスちゃん主演映画 ↓ 



140162293_109310291123925_7947270996206170222_n


 十八の時、家を離れた。海外カレッジ・スカラシップを受ける事が出来たからだ。それから三十歳で財団員になる迄、イングランド、北米、イタリアを学問しつつ放浪した。

 最初に長期滞在した海外の都市はロンドンだった。そのニューカマーとして、ワンダータイムを過ごした。
 ある日のことだった。
 私は前月入学したロンドン大学に属するアート・ギャラリーへと、歩を進めていた。そのギャラリーでは、日本人アーティストのタケナカという人物が新作の個展を開催している最中だったのだ。そのとき私は単なる、大都会ロンドンニューカマーであり、右も左も分からなかった。
 ロンドンでは、ビリアード、スヌーカー、そしてピンボールに熱中するようになった。

 昨日もエルダー・スチューデントらとプールバーに居た・・・。

 

 私は気付くと、ロンドン大学の学生達で夜な夜な賑わうパブの、正面ドアの前を通り過ぎようとしていた。この大学には、ギリシャ人、イタリア人、フランス人、アメリカ人、中国人、日本人、タイ人、シンガポール人、韓国人、というように多くの国々から留学生が集まっていた。私達は英語を共通語として互い意思疎通していた。
 そう、それは香港がまだ英国から中国へ返還される少し前だった。その頃ロンドンで出会う多くの中国人は香港人だった。彼らの中には中国当局に対する非難活動をしている者も居た。ロンドン大学はそのように、世界の多くの地域からやって来る者達で、そのスチューデントが構成されていたから私も居心地が良かった。


 友人がいた。彼女はイタリアの田舎のワイナリー出身の二十歳だった。彼女にとっても、ロンドンは大都会だった。そう、彼女はイタリアの首都であるローマさえ、それほど知らなかったのだから。

 多くの英国人は、彼女がイタリア人だと分かると、「イタリアはファッションセンスが最高だ、すばらしい、車のデザインも個性的でクールだ」と言った。しかし彼女はミラノ出身ではなかったから、そういった言葉に上手く返事出来なかった。

 とはいえ、のちに私がイタリアへと向かうのは、この友人の記憶があったからだろう。


 私は画家の家に育ったが、しかしながら現代芸術が身近になったのは、実はロンドンに住み始めた時からだったのだ。それは一種の、知的で洒落た体験だった。ロンドンには、ICAという現代芸術ギャラリーが在る。ロンドンという古い街の中心に、こうした新しい物を置くところは英国人らしい一面だ。ここでは新しい物と古い物がうまく同居し、機能し合っている。

 ロンドン下町に住み始めて程なく、ICAは私のフェイバリット・プレイスとなったのだ。
 私の美術鑑賞の経緯は、そのようなものだが、・・・まあ、その日は大学付属ギャラリーでタケナカの個展がある事を、朝、ちょっと前に買ったのに読まずにTVの上に放っておいたTIME・UT誌で思い出したのだった。タケナカは時々、ICAに作品を展示していたので、そのアーティストの名は知っていたのだが彼自身に会ったことはなかった。そもそも私は日本の事もあまり知らないのかもしれない


 前述のイタリアの友人、モニカは日本という国に興味はあった。だが、正直に言えば日本と韓国と中国の区別も出来ない。兵馬俑は中国にあったか、日本だったか・・・その程度もはっきりしない知識だ。彼女の祖父が日本人の友人からもらった、という芸者の人形が彼女のイタリアの生家あるという。彼女の日本人のイメージはそこから来たものぐらいだ。真っ黒な髪の毛を不思議な形に結った人形・・・

 パブを通り過ぎると赤煉瓦の階建があったそこは学生の私書箱がある建物だ私はまだロンドン滞在二ヶ月・・・住所が転々としていた当初アバディーンホールという学生寮に居たが、その後ロンドン大学まで徒歩で行けるマクミランホールに移動した。
 それで大学の学生私書箱をとりあえずの郵便用住所としていた。

 私は日に回、私書箱をチェックした。
 赤煉瓦の階建は付属ギャラリーに近かったので、タケナカ展に入場する私書箱を見にいった。予想通り何もなかった。それはそれでいいのだ。私はマクミランホールから出て下町を歩き、パブを通り、赤煉瓦の階建を過ぎ、付属ギャラリーへと行く道のりが好きだったのだ。ギャラリーから七十メートル離れた所に私が個人的に間借りした倉庫があった。私はそこで文学研究を始めた。文学、それは人間の心の地図だ。我々は自分の人生しか生きられない。しかし文学は、・・・別の人生を疑似体験させる機能がある。読書とは、今現在我々が置かれているのとは違う状況に自分を送り込むことだ。その状況でどう考えるべきか、何を選ぶべきか、どういう可能性があるのか、それらを仮想する世界だ。多くの文学者または小説家達は様々な状況下の人間の態度、その抗い得ない感情を作品の中に描き出してきた「善」とは何か「悪」とは何か、それらは状況によって変動さえする。人間が知覚し得る「善悪」とは宇宙のバランスから見ると非常に狭いようだ良き」と思ってした事が、後にそうではなかったと分かり、また深く考えずに取った行動を反省したり、・・・我々人間の思考等は感情に支配されやすく、多くの勘違いがある。そんな僕らは経験から次の行動の指針を見つけていく事が多いかもしれないロンドンでは、そのような事を文学に於いて研究していたのだ。そして多数の文学作品が聖書をその基点に持っている


95ae1148



61fb37e1

↑このページのトップヘ